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東京地方裁判所 昭和42年(ワ)5934号 判決 1969年8月13日

原告

絹谷物産株式会社

右代表者

絹谷剛毅

外四名

右五名代理人

山本栄則

小林俊明

高橋崇雄

浦田数利

被告

生方植次

右代理人

安西光雄

堀内左馬太

主文

1  被告は、原告絹谷物産株式会社に対し五〇万円、原告絹谷カツヨに対し三〇〇万円、原告絹谷剛毅に対し二〇〇万円、原告片柳郁子、同加藤洋子に対し各一五〇万円および右各金員に対する昭和四二年六月一九日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。

2  原告絹谷物産株式会社のその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用は、原告絹谷物産株式会社と被告との間に生じたものはこれを五分してその四を同原告の、その余を被告の負担とし、原告絹谷カツヨ、同絹谷剛毅、同片柳郁子、同加藤洋子と被告との間に生じたものは全部被告の負担とする。

4  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の申立

一  請求の趣旨

1  被告は、原告絹谷物産株式会社に対し二四四万四一一九円、原告絹谷カツヨに対し三〇〇万円、原告絹谷剛毅に対し二〇〇万円、原告片柳郁子、同加藤洋子に対し各一五〇万円および右各金員に対する昭和四二年六月一九日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は、原告らの負担とする。

との判決

第二  当事者の主張

一  請求の原因

(一)  事故の発生

訴外絹谷与吉(以下、与吉という。)は、次の交通事故(以下、本件事故という。)によつて死亡した。

1 発生時 昭和四二年一月一八日午後一〇時一五分ごろ

2 発生地 東京都新宿区天神町五〇番地先道路上

3 加害車 普通乗用自動車いすゞベレット六四年式(足五そ一一六九号)

運転者 訴外生方一大(以下、一大という。)

4 被害車 普通乗用自動車トヨペット六六年式(多摩五む七九二八号)

運転者 与吉

5 態様 早稲田通りを高田馬場方面から飯田橋方面に向つて進行し、天神町交差点に進入しようとした与吉の運転する被害車の右側前部と江戸川橋方面から右交差点を右折し高田馬場方面に進行しようとした一大の運転する加害車の右前部とが衝突した。

(二)  責任原因

被告は、加害車を保有しこれを自己のために運行の用に供していた者であるから、自賠法三条により本件事故によつて生じた以下の損害を賠償する責任がある。

(三)  損害

昭和四二年一月二九日与吉は本件事故による腸間膜腸管破裂のため死亡した。与吉の死亡(死亡までの傷害を含む。)による損害の内容は次のとおりである。

1 与吉の入院関係費

五万二四四五円

原告絹谷カツヨ(以下、原告カツヨという。)は、与吉の入院中、次の費用を支出した。

(1) ガーゼ、タオル等日用品購入費

一万一二五三円

(2) ジュース、ミカン等栄養費

五六七五円

(3) 見舞客接待費 四一四〇円

(4) 医師等謝礼 二万六三七七円

(5) 交通費 五〇〇〇円

2 葬儀関係費 二四五万六〇〇五円

(1) 葬儀・法要費用

二一〇万八八五一円

与吉は原告絹谷物産株式会社(以下、原告会社という。)の代表者であつたところから葬儀および三五日の法要は原告会社が施主となつて営み

(イ) 葬儀費 二〇四万一九六九円

(ロ) 法要費用 六万六八八二円

を支出した。

2 葬儀に伴う営業上の損害

三二万七一八八円

原告会社は、主にスーパー・マーケットを経営し、肩書所在地に銀座店、神奈川県鎌倉市に鎌倉店、東京都江東区に亀戸店、神奈川県横浜市鶴見区に生麦店を有して銀座店においては一日平均四万六二三一円九〇銭の利益を、鎌倉店においては同じく九万六〇二九円の利益を挙げていたところ、与吉の葬儀のため銀座店において昭和四二年一月三一日から同年二月四日まで五日間、鎌倉店において同年一月三一日、同年二月一日の両日を半日宛その営業を休止することを余儀なくされ、銀座店において二三万一一五九円、鎌倉店において九万六〇二九円の各得べかりし利益を喪失した。

(3) 葬儀の来客接待費用

一万八四六六円

原告カツヨは、与吉の妻としての立場から出損を余儀なくされたものである。

(4) 死亡診断書料等 一五〇〇円

原告カツヨは、死亡診断書料および死亡届の費用として頭記の費用を支出した。

3 原告絹谷剛毅(以下、原告剛毅という。)の休業補償および交通費

四八七万五九六〇円

原告剛毅は、永年アメリカ合衆国ロスアンゼルスに滞在し、同地の共同貿易株式会社に勤務するかたわら日本拳法アメリカ連盟およびボイルハイツ労働組合等の関係において拳法に関する講師ないし指導者を勤め、共同貿易株式会社から月額一八万円、日本拳法アメリカ連盟およびボイルハイツ労働組合等の関係から月額三六万円の収入を得ていたところ、本件事故により父親たる与吉が死亡したため昭和四二年一月末急拠帰国し、帰国後は長男の立場から原告会社の仕事や家事にわずらわされ、同年一二月末までアメリカに戻ることが困難になり、同年二月一日から同年一二月末まで前記アメリカにおける勤めを休まざるを得なかつたので、その間の収入五九四万円を得ることができなかつたが、その間原告会社から月額一二万円宛一三二万円の手当を支給されていたから、結局その差額四六二万円を喪失したものである。また、原告剛毅は、前記帰国のための交通費二五万五九六〇円を支出している。

4 原告カツヨの入院費等

六万五六二〇円

原告カツヨは、与吉の入院それに引き続く死亡の衝撃から食事も満足にとることが出来ず疲労がはげしかつたので、栄養剤を服用し、また昭和四二年三月一一日から同月一七日まで過労のため順天堂病院に入院して治療を受けざるを得なかつた。頭記金額はこれらの費用である。

5 原告会社の代表者変更登記費用等

八〇八〇円

原告会社は、代表者たる与吉の死亡により商業登記関係および取引銀行関係において代表者を変更する必要があり、そのための費用として頭書の支出を余儀なくされた。

6 与吉の喪失した得べかりし利益およびその相続

(1) 与吉が本件事故による傷害および死亡によつて喪失した得べかりし利益は、次のとおり一二〇二万一六八四円と算定される。

(本件事故時) 五九歳

(推定余命) 一五年。与吉は、その年令に似合わず非常に健康な男子であつた。

(稼働可能年数) 一五年

(収益) 与吉は、原告会社の代表取締役として年額一四〇万二六〇〇円の給与を得ていた。

(控際すべき生活費) なし。与吉は、右給与の他に株式配当金、家賃収入等いわゆる雑収入として年額一〇七万七五〇〇円の収入を得ていたから、同人の生活費は右雑収入で十分まかなわれる結果右給与所得はそのまま同人の収益となる筈である。

(毎年の純利益) 一四〇万二、六〇〇円

(年五分の中間利息控除) ホフマン複式(年別)計算による。

(2) 原告会社を除く原告らは与吉の相続人の全部である。よつて、原告カツヨはその生存配偶者として、原告剛毅、同片柳郁子(以下、原告郁子という。)、同加藤洋子(以下、原告洋子という。)はいずれも子としてそれぞれ相続分に応じ与吉の賠償請求権を相続した。その額は、

原告カツヨにおいて四〇〇万七二二六円

原告剛毅、同郁子、同洋子において各二六七万一四八四円である。

7 原告会社を除く原告らの慰謝料

その精神的損害を慰謝するためには、原告カツヨに対し三〇〇万円、原告剛毅、同郁子、同洋子に対し各一〇〇万円とするのが相当である。

(四) 結論

よつて、被告に対し原告会社は前記(三)の2の(1)および(2)ならびに5の二四四万四一一九円、原告カツヨは前記(三)の1、2の(3)および(4)、4、6の(2)ならびに7の七一四万五〇四七円のうち三〇〇万円、原告剛毅は前記(三)の3、6の(2)および7の八五四万七四四四円のうち二〇〇万円、原告郁子、同洋子はおのおの前記(三)の6の2および7の三六七万一四八四円のうち各一五〇万円ならびに右各金員に対する訴状送達の日の翌日である昭和四二年六月一九日から支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いをそれぞれ求める。

二  請求原因に対する答弁

(一)  請求原因第(一)項のうち1ないし5は認めるが、冒書の事実は与吉が本件事故によつて受傷した限度で認めその余は争う。

与吉の死亡は同人の傷害を治療した医師妹尾素淵、坂本光生、小林某の診断、処置および手術上の過失によつて招来されたものであり、本件事故と与吉の死亡との間に因果関係がない。

(二)  同第(二)項のうち被告が加害車を保有していることは認めるが、その余は争う。

(三)  同第(三)項のうち6の与吉の原告会社における地位、その年令および与吉と原告会社を除く原告らとの身分関係は不知。その余は争う。

(四)  同第(四)項は争う。

三  抗弁

(一)  加害車の運行支配喪失の抗弁

被告はその所有にかかる車両を自己以外の者に使用させないようその鍵を厳重に保管していたところ、被告の長男一大は被告が会社に出勤している間に訴外柏木真弓なる女性とデートする目的で加害車の鍵を探し出し、被告に無断で加害車を運転中本件事故を発生させたものであるから、本件事故当時被告は加害車の運行供用者ではなかつた。

(二)  過失相殺の抗弁

本件事故は一大の運転する加害車の右前輪が早稲田通りの中央線から約0.85メートル右側にあり、その左前輪および左後輪が中央線をほとんど通過したときに与吉の運転する被害軍の前部右側が加害車の前部右側に衝突したものであつて、与吉にも交差点に進入するに際して安全の確認を怠つた過失があり、与吉のこの過失は一大の過失と対比して比較にはならないほど大きいものであるから、賠償額の算定にあたつて十分斟酌さるべきである。

四  抗弁に対する答弁

(一)  運行支配喪失の抗弁に対する答弁

一大が被告の長男であることは認める。しかし、一大は本件事故当時被告から加害車の運転を黙認されていたものである。仮に一大が被告に無断で加害車を運転したとしても、被告と一大の身分関係および加害車の保管につき著しい手落ちがあつたことからして被告は運行供用者としての責任を免かれることはできない。

(二)  過失相殺の抗弁に対する答弁

与吉は被害車を運転して本件交差点に進入するに際して一時停止をし安全を確認した後発進した。その瞬間一大が加害車を運転して前方不注視のまま徐行もせずに右交差点を急カーブで右折してきて加害車を被害車に激突させたのである。したがつて、本件事故の発生について与吉には何らの過失もない。

第三  証拠関係<略>

理由

一(事故の発生)

与吉が本件事故によつて傷害を受けたことは当事者間に争いがなく、同人が右傷害に基づく疾病のため死亡したことは後記認定のとおりである。

二(被告の責任)

被告が加害車を保有していたことについては当事者間に争いないところ、被告は、本件事故は一大がデートの目的でもつて被告に無断で加害車を運転中に発生したものであるから、被告は右事故当時加害車の運行供用者ではなかつた旨主張する。しかしながら、運転者との身分関係も考え合せると、右の如き態様の無断運転では自動車の保有者がその運行支配を喪失することはないというべく、したがつて被告の右主張は失当といわなければならない。そうとすれば、被告は加害車の運行供用者として自賠法三条に基づいて以下の損害を賠償する義務がある。

三(損害)

<証拠>を総合すれば、与吉は本件事故により腹部を強打したため腸穿孔を生じ、それに基因する化膿性腹膜炎によつて昭和四二年一月二九日午後一一時一五分死亡したことを認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない(<証拠>によれば、与吉の本件事故による傷害の治療に際し医師らが最も適切な処置を施していれば、与吉は生命をとりとめ得た可能性も存したことが認められるが、さればといつて右医師らに治療上の過誤を窺わしめる証拠はないというべく、また右生命保持の可能性あることをもつて本件事故と与吉の死亡との相当因果関係を否定することはできないといわなければならない。)。そこで進んで損害の内訳を検討することにする。

1  与吉の入院関係費

<証拠>によれば、与吉は昭和四二年一月一八日から同月二九日まで一二日間東京厚生年金病院に入院していたことが認められるところ、<証拠>によれば、原告カツヨは与吉の右入院中、(1)毛布、ネマキ、タオル等の購入費として一万一二五三円、(2)ミカン、ジュース等の購入代金として五五〇五円、(3)見舞客の接待費として四一四〇円、(4)医師・看護婦らに対する謝礼にウイスキー等を購入した代金として二万六三七七円、(5)自動車の駐車料金として五〇〇〇円を支出したことが認められる(その余のミカン・ジュース等の購入代金はこれを認めるに足りる証拠がない。)。しかしながら<証拠>により認められるところによると、(2)の大部分は原告カツヨらの家族および見舞客が飲食したものであつて、これと(3)は明らかに本件事故と相当因果関係のない出費であり、また(4)にしても本項冒書掲記の各証拠により認められる再度にわたる手術施行を考慮しても前記入院期間等からみると本件事故と相当因果関係のある損害はうち一万円とするのが相当である。こうして原告カツヨ主張の入院関係費は本件事故と因果関係において相当性のないものが多分に含まれているので、被告に負担さすべきものとしては(1)および(2)について入院中一日二〇〇円の割合による二四〇〇円、(4)について一万円、(5)について全額五〇〇〇円計二万七四〇〇円の限度で認容することができるが、その他は失当である。

2  葬儀関係費用

(1)  葬儀・法要費用

<証拠>によれば、原告会社は東京都および神奈川県下に四つの支店を有し、いわゆるスーパー・マーケットを営む株式会社であるが、与吉は裸一貫から出発して今日の原告会社を作り上げたものであつたところから、その葬儀・法要は原告会社が施主となつて葬礼は仏式、葬法は火葬で社葬として営まれ、右葬儀および中有法要の費用として原告会社は二〇四万二一四九円を支出したことが認められる。しかし、法律上加害者に賠償を請求しうる葬儀・法要費用は事故と相当因果関係のあるもの、すなわち被害者の所属した地域、被害者の社会的地位、施行された葬礼・葬法等に応じ葬儀・法要上通常必要とするものに限られるから、右に認定した与吉の社会的地位、葬儀・法要の態様等を考慮すると、本件事故と相当因果関係のある葬儀・法要費用はうち五〇万円とするのが相当である。

(2)  葬儀に伴う原告会社の営業上の損害について

原告会社が四つの支店を有してスーパー・マーケットを営むものであることについては前に認定したとおりであり、与吉の前記葬儀のために銀座店において昭和四一年一月三一日から同年二月四日まで五日間、鎌倉店において同年一月三一日と翌二月一日の各半日休業して銀座店において二三万一一五九円、鎌倉店において九万七〇二九円の各得べかりし収益を喪失したことは<証拠>により認められるところであるが、<証拠>によれば原告会社が右支店の営業を休止したのは与吉の死亡によつて休業を余儀なくされたというよりは原告会社(の従業員)が自発的に営業を休止することをもつて代表取締役たる与吉に対して追悼の意を表することにしたものであることが認められるから、これによつて生じた損害は本件事故とは相当因果関係がないというべきである。

(3)  原告カツヨの来客接待費用について

<証拠>によると、与吉の妻である原告カツヨは葬儀の来客に対する接待費用として一万八四六六円を出損したことを認めることができる。しかしながら前判示のとおり、与吉の葬儀・法要にあたつて施主すなわち費用負担者は原告会社だつたのであるから、特段の事情のないかぎり右費用は原告会社が前記葬儀費用のうちにおいて支出すべかりしものであり、特段の事情の認められない本訴において原告カツヨの右主張は失当である。

(4)  死亡診断書料等

原告カツヨは死亡診断書料および死亡届の費用として一五〇〇円を支出したことが<証拠>により認めることができ、右の支出は本件事故による損害と考えられる。

3  原告剛毅の休業補償費および交通費

<証拠>によれば、原告剛毅は大学を卒業すると同時に渡米し、昭和四二年一月二九日ごろはロスアンゼルスの共同貿易株式会社に勤務するかたわらILWAの労働組合において日本拳法を指導し、同会社から給与として月額一八万円、同組合から報酬として月額三六万円を得ていたが、父である与吉の死亡の報に接し葬儀に参列するため同年二月一日急拠帰国し、葬儀終了後はアメリカに戻るつもりでいたところ、母である原告カツヨの懇請に応じて与吉の後を継ぐことになり、同年六月家財整理のためにアメリカに往復したことはあつたが、共同貿易株式会社の勤務とILWA労働組合における指導はその時期も判然としないまま辞職する結果となり、同年二月からは原告会社から二八万円の給与を受けていたことが認められる。したがつて原告剛毅がアメリカに戻らずに与吉の後を継いだのは結局原告剛毅の意思に基づくものであつて、本件事故による与吉の死亡はその契機を作つたものにすぎず、その間に必然性はないというべきであり、また帰国後は原告会社から給与を得ていていわゆる休業と目すべき状態はなかつたとみるべきであるから、原告剛毅の休業補償の主張は理由がない。

これに対し<証拠>により認められる、前記葬儀参列のためおよび残務整理のための東京とロスアンゼルス間の航空往復運賃二五万円(その余の交通費についてはこれを認めるに足りる証拠はない。)は本件事故による与吉の死亡ということがなければ支出する必要がないものであるから、本件事故と相当因果関係がある損害である。

4  原告カツヨの入院費等について

<証拠>によれば、原告カツヨは昭和四二年一月二一日から同年二月三日までの間にグロモント(栄養剤と思われる。)等を購入してその代金として四五四〇円を支払つたことが認められるが、その購入目的についてはこれはこれを判然とさせるに足りる証拠がないので、右の出費を本件事故による損害と認めることができない。また<証拠>によると、原告カツヨは胃潰瘍兼心身疲労のため同年三月一〇日から同月一七日まで順天堂大学医学部附属順天堂医院に入院して治療を受けその費用として四万九二一〇円を支出したことが認められるが、<証拠>によれば、原告カツヨは元来身体が丈夫でなかつたこと、原告剛毅が帰国当初与吉の後を継ぐ意思がなかつたので原告カツヨはその対応に苦慮したこと、原告剛毅が与吉の後継者として事実上原告会社の経営に関係するようになつた際原告会社の幹部との間がしつくり行かず、原告会社をやめる従業員が出る等して当時原告会社の代表取締役をしていた原告カツヨが苦労したことが認められ、これに前記原告カツヨの入院の時期を併せ考えると、原告カツヨが与吉の負傷・死亡によつて多大の精神的苦痛を蒙つたことは容易に考えうるところであるが、原告カツヨの入院がその結果であるとの心証を得ることはできないので、右入院のために支出した費用も本件事故による損害と認めることができない。

5  原告会社の代表者変更登記費用等について

<証拠>によれば、原告会社は代表者たる与吉の死亡により商業登記関係の変更登記申請の費用として四三六〇円を支出したことが認められる(原告会社主張のその余の費用についてはこれを認めるに足りる証拠がない。)。しかし<証拠>によれば、原告会社は相当な程度の規模と組織を有して与吉個人とは実体上も別個独立の企業体であることが認められるから、原告会社は本来本件事故の間接被害者にすぎないというべく、かかる原告会社が支出した右の如き費用は本件事故と因果関係において相当性があるものとはいえない。

6  与吉が喪失した得べかりし利益およびその相続

(1)  与吉が本件事故当時原告会社の代表取締役であつたことは前記のとおりであり、<証拠>によれば、与吉は本件事故当時満五九歳八月の男子で原告会社から年額一四〇万二六〇〇円の給与を得ていたことが認められるから、余命の範囲内でなお八年間は稼働することができ毎年程度の給与を得ることができたものと考えられる。原告会社を除く原告らは与吉はなお一五年間稼働可能であつた旨主張するがこれを認めるに足りる証拠はない。そして<証拠>によれば、本件事故当時与吉と生活を共にしていた者は原告カツヨ、同洋子の二人であつたことが認められるから、与吉の生活費は右給与のほぼ三割にあたる年額四二万円程度とするのが相当であり、これを右給与から控除すると与吉が得べかりし毎年の純利益は九八万二六〇〇円になる。原告会社を除く原告らは、与吉は右給与の他に株式配当金、家賃収入等いわゆる雑収入として年額一〇七万七五〇〇円を得ていたから、与吉の生活費は右雑収入で十分まかなわれるので、右給与から生活費を控除すべきでない旨主張し、<証拠>によれば、与吉は本件事故当時右給与の他に年間株式の配当金として一一万七五〇〇円、賃貸不動産の賃料として八三万六三二四円の収入を得ていたことが認められるが、人身事故における被害者の将来にわたる逸失利益は被害者の失つた全部または一部の労働能力を評価するものであつて、事故当時における被害者の収益や控除すべき生活費あるいは稼働可能年数や控除すべき中間利息というようなものは喪失した労働能力の算定のための一資料にすぎない。そして死亡した被害者が給与所得者の場合にあつては特段の事情のないかぎり事故当時得ていた労働の対価たる給与から労働力再生産のために支出する一切の費用を生活費として控除した残額をもつて死亡によつて喪失した労働能力と評価するのが相当である。この場合に被害者が労働の対価とは目しえない配当、不動産所得のようなものを得ていてもそれは積極的にも消極的にも労働能力算定の資料とすべきではない。したがつて原告会社を除く爾余の原告らの右主張は失当というべきである。ところで原告会社を除く原告らは与吉の右逸失利益を本件事故時において一時に請求するものであるから、これから年ごと複式ホフマン計算法により年五分の割合による中間利息を控除するとその現価は六四七万円(万円未満切捨て)である。

(2)  <証拠>によれば、原告カツヨは与吉の生存配偶者であり、原告剛毅、同郁子、同洋子が各、一四三万円(万円未満切捨て)となる。

7  原告会社を除く原告らの慰謝料

与吉の死亡による、原告カツヨ、同剛毅、同郁子、同洋子の精神的苦痛に対する慰謝料は、原告カツヨにおいて一四〇万円、原告剛毅、同郁子、同洋子において各八五万円とするのが相当である。

四(過失相殺の抗弁について)

本件事故の態様は前記のとおりであり<証拠>によれば、次の事実を認めることができる。

前記天神町交差点(通称としては矢来下交差点という方が正確のようである。)は東京都新宿区神楽坂方面から同区弁天町方面にほぼ東西に通ずる早稲田通りと同交差点から北方、江戸川橋方面に通ずる通称矢来下通りとが交差する地点である。そしてその地形は早稲田通りの同交差点から西方、弁天町方面に向う幅員11.40メートルの道路の北側端線と幅員15.40メートルの矢来下通りの西側端線とは隅切りがあるがほぼ直角に交わつているところ、早稲田通りの右弁天町方面に向う道路の南側端線は右交差点から弁天町寄りに十数メートルの地点から同交差点に向つて南に約四五度の角度で屈曲しており、右道路の中央線も右南側端線にほぼ平行に屈曲して設置されている。右交差点のほぼ中央にはセイフテイコーンによつて安全島が劃されており、交差点の東、北、西側にはそれぞれ横断歩道が設けられている。矢来下通りは右交差点に向つてゆるい登り坂になつているが、早稲田通りを弁天町方面に向い右折するにあたつて同方向への見通しは比較的良好である。右交差点には本件事故当時信号機が設置されておらず、その他の交通整理も行なわれていなかつた。

与吉は被害車を運転して早稲田通りを弁天町方面から神楽坂方面に向つて進行し、道路左側部分の中央線寄りを走行して右交差点の西側横断歩道外側の手前数メートルの地点に差し掛つたとき、矢来下通りを江戸川橋方面から進行し右交差点を前記安全島と隅切りとのほぼ中央を通つて右折し、早稲田通りを弁天町方面に向おうとした一大運転の加害車に衝突された。なお、加害車の右折時の速度は毎時約三〇キロメートルであり、また一大は被害車と衝突するまで被害車に気付いていない。

以上の事実を認めることができる。右事実によれば、一大に本件事故の発生について右折方法不適、徐行義務違反、前方不注視等の過失があることは明らかであるが、与吉に安全不確認その他の過失を認めることはできないので、被告の過失相殺の抗弁は理由がないといわなければならない。

五(結論)

よつて、原告会社の本訴請求のうち前記三の2の五〇万円および右金員に対する訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和四二年六月一九日から支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める部分ならびに爾余の原告らの本訴請求はいずれも理由があるから認容し、原告会社のその余の請求は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して注文のとおり判決する。(倉田卓次 福永政彦 並木茂)

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